KIBIHA

幾夏のさぶあかうんと

ブログ

地元に引っ越してきてからもうすぐ一ヶ月が経つ。普通とされていることが自分にも(少しは)できる、というそれだけのことにどれだけ救われるのか、これまで知らなかった。朝の時間帯のうちに起きて「仕事」に行くこと、は一ヶ月前までは全く自分にとってリアリティがなくて、そんなことできるわけがないと思っていた。昼の普通の仕事はダメでも夜なら、とすがる思いで応募した先でバイトを始めたが、全く使い物になれないまま辞めてしまった。4月の終わり頃には、自信や自尊心は壊滅的にボロボロになっていて、奇行もしていたが、その2ヶ月後には、生活がとりあえず回るところまで来たことに驚いている。「仕事」を一応でもやれてる、ということに救われるくらいには、自分は凡庸で小市民的で社会適合的なのだ、という乾いた笑いも出なくはないが、今はひっこめていたい気持ち。
これまで、自分のやっていることを「労働」や「バイト」として捉えていたときは、それをしている時間が苦痛でしかなかった。「仕事」として捉えた途端に、取り組む姿勢自体が明らかに変わった。前のバイト先では、他のバイトの人が「今日中にこれを終わらせておき『たい』」という言い方をするのを聞くたびに、他人事のように「今日中に終わらせた『方がいい』」としか言い得ない自分との違いを痛感していたが、今は自然に「やっておき『たい』仕事」という表現を使えている。給料だけで比べれば、時給ベースではバイトの頃とそんなに変わっていないものの、任される内容はバイトよりも多く、頭の使い甲斐があると感じる。そんな仕事を恵んでいる上司は親であるということが負っている部分は非常に大きく、厳密にいえば自分は「普通」をちゃんとできているわけではないが、ホワイトホワイトホワイト企業相当くらいの頑張りはできているのではないか、という自己評価。一応、朝は5時から7時までの間に起きて、水筒と弁当(たまに)を持参し、一時間半かけて通勤し、8時間くらい働く、それを週に5日やっている。先週は寝坊もしてしまったし、精神科の薬を切らして夜眠れていなかったので能率が悪かったが、薬をもらってきたあとの今週一週間はわりとピシッとできた気がする。
それを下から支えているのは生活で、こちらも丁寧とはいかずとも、最悪の怠惰は免れている。まぁとはいえそもそも住んでいる家とて、もともと家族で住んでいた3LDKに一人暮らしという贅沢極まりない状態なので、そんな条件だったら誰でも生活ちゃんとできるわな…とは思う。シンクがでかくて洗い物をすぐにしなくても大丈夫だし、廊下にはゴミを放置してもそれほど気にならないし、机も3個あるので散らかしてもスペースはどこかしら確保できるし、とにかくスペースさえあればものは片付く上、困りごとも起きない。そこで天狗になって生活ができてる!と自信をもっているのもアホな話だが、誰でも多かれ少なかれ状況に助けられて成功体験を積んでいくものなのでは、という気もするので、よしとしたい。
生活や仕事、それは好きなことに使う時間やお金を下支えしてくれる根っこのようなもので、ここを疎かにしたまま好きなことをやっていたから、大学卒業後の一年弱は、楽しいはずなのになんか不安だったんだなと思う。言葉にすると当たり前のことだが、そんな「普通」のことをちゃんとやるということの大事さが骨に沁みている。

久しぶりにブログらしい、気負わない素直な文章ができてなんだか嬉しい。これからもたまに書いていけたらなお嬉しい。一ヶ月後には生活も仕事も崩れまくって自信を失っていてブログどころじゃない、という可能性も多分にありますが…。