KIBIHA

幾夏のさぶあかうんと

サンプル

 

思い当たる節があって、眼鏡をやめた。

夜に四日市を走ると、眩く霧散する光が今をあの頃と錯覚させるようになった。

広いフロントガラスの向こうに今にも彼と彼女が飛び出してきそうでそわそわしてしまう。

トンネルを抜けた先、もう一度弾ける白い光線。コンタクトレンズは長時間装用していると焦点が合いづらくなるようだと、最近気付きがあった。ドライバーには向かないもののように思う。外せばいいのに、それをしないのはきっと、荷台の上にも下にもしなだれかかる、にっちもさっちもいかないしがらみ、そう呼ぶにはまだ早い思い出のため?

 

あの頃は、いたちごっこの恋愛はもうしない気がしていた。

自分も大人になったのだ、媚びては逃げられ、逃げられては追う、そんな不毛な恋愛はもう二度とするまいと、そう決め込んでいた節さえあったぐらいだった。

そんな誓いを破るのはいつだって、鮮やかな不意打ち・避けきれなかったヒヤリハット!知ってるはずでも華麗に引っかけられてしまう。

 

緩やかなカーブにさしかかる。ドラマティックな、鋭角に切り込むカーブじゃなく、なんでもなく通過できてしまいそうな、腑抜けたカーブに。

 

そこに飛び込んでくる、真っ白に雪化粧をした美しい貂(てん)。

慌てて急ブレーキをかけた。後続の車たちは中央分離帯を越えかろうじて追い越していった。

トラックから降り、駆け寄って抱き上げる。折れそうな身体やその温度に、頬がゆるんで、唾液がじゅるじゅると口内の皮膚を溶かすようだった。

くわえた花束はなかなか離さない。とても大事なものとでもいいたげだ。

貂は、元気がないわけではなかった、むしろ好奇心旺盛にこちらを見ている。こちらを見ている瞳に自分が写る。もうあの頃みたいな瓶底眼鏡はかけていない。似合ってないと言われたけれど、意地になってしばらくはかけつづけていたけれど。

 

連れ帰って、助手席に乗せた。運ぶ荷物とともに、知多半島まで駆け抜けてしまおう。

そう思って、勢い良くアクセルを踏み込む。少し音が遠ざかるAOR

「夜のドライブのBGMで人柄がわかるの」

彼女にそう言われたから、爆走ソカは速やかに封印して、海の家で買ったサーフロックに切り替えたら、変な顔をされたものだった。

「あなたはわかってないね」

もう一度考えた結果、ジョンケージにしてみたら、もっとしかめっ面になった。

「あなたの考えてることがわからないわ」

きっかけは、そんなことだったっけ。思い出したところで、再びトンネルに入った。

—どうしてそんなつまらないことで機嫌が悪くなるんだ?

いつものように、胸の内で留めておけばよかったその言葉を、そのときはつい口に出してしまった。真一文字に結んだ唇が真っ赤に染まったのは、色の濃いルージュのせいだけではないだろう。

わからないままでいいわよ、一生」

ボンネットに置き去られたシルクのハンカチーフは別れの意味だったと気付いたところで、あとのまつりだった。彼女は最後まで可憐に華麗にとびきり怜悧だった。

 

そう夢想する刹那、いたちが横切る。

あっという間もなく、閃光に見紛う速さで。

 

タイヤに鈍い感触を感じる。咄嗟につぶりかけた目でぼんやり見えた助手席に、あの貂は居なかった。

スリップしながら思い出したのは、今思い出す必要のない、貂はいたちの仲間だという豆知識、それから、彼女が最後に寄越したリリカルな手紙だった。

 

ああ、もう戻れない。

 

がくん、と車体が傾く衝撃が、二重に脳天を貫く。

 

鮮やかな不意打ち・避けきれなかったヒヤリハット

人生を狂わすのは、いつだってそういうものだ。

 

 

泉・蟻のみ

飽きもせず言葉を採集しては一語ずつフェルトペンで大きく書いた札がついに500枚ほどになりまして。大して多くない気もするけど、せっかくなので何かやってみようと思い立ったので、試してみます。

500の中から無作為に引いた3つの単語を使って小咄を書こうというベタなもの。

 

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今回は「怜悧」「いたちの道」「リリカル」

 

よしゃ〜いってみよっ

(思いつきなのでとってもあやふや、雰囲気のみ) 

 

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尻が嫌いだ

基本的に悪口は言わないようにしているが、どうしても許せないものがある。これは言ったところでそれほど誰かを傷つけたりしないような気がするので、言わせて下さい。
尻だ。いや、尻と口に出すのさえはばかられる。尻あらため臀部だ。
何をそんなに深刻な顔をして臀部を批判するのかと自分でも不思議に思うが、このうらみ方は妄執にも近い。でも仕方がないと思う。だって実際片時もこの脂肪片は離れてくれることがなく、それとなく存在を示し続けてくるからだ。椅子に座るときやしゃがんだときなどに、仕事はちゃんとしてますよ、とビジュアル的にも実感的にも「それとなく」アピールしてくる、この妙な「それとなさ」が腹が立つ原因のひとつだ。筋肉や脳はそのようなアピールをすることなく黙って自分の任務をこなす。ときどき不調になった時だけ音を上げてしんどさを訴えてくる。なんとも健気だ。それでこそ調和を保った身体だというものだろう。
そして、形状や材質のまぬけさ、これがネックだ。ただでさえ欠陥の多い人間に、さらにウィークポイントを増やしてくるところが腹立たしい。せっかく筋肉を鍛えても、なんとなくここをつかんだときに、ああ…まだこいつがいたかと脱力してしまう。同じことは太ももにも言えるけど、太ももは普段シルエットとしてそれほど主張してこない。でも臀部は違う。ぷくっとしている。まっすぐの線をかき乱す唐突なふくらみ、これさえなければもっとフラットでぺらぺらな身体になるのに。ここには大いに自分の理想のプロポーションが影響しているけど…。
臀部についてのいちゃもんはまだまだあるけど、立場を守ったまま言えることは意外に少なかった。

ただ臀部が、機能的に不可欠だと言うことは頭ではわかっている。日々これのおかげで椅子に座っても軽くこけても、骨を折ったり体を痛めたりすることなく穏やかに過ごしていられるのだと。でも嫌なのだ。「生理的に〜」という表現は今までずっとしっくりきていなかったが、まさにそれなのかもしれない。それでいて、臀部という体の一部についてだけでこんなにも語れてしまうのだ。というより、他のパーツについても語れるような気がしてきた。「がんばり屋さんでけなげな心臓」みたいなテーマの文章、その気になれば書けたりする気もする。

はじめて始発に乗った

火曜日に、始発(の次)の電車、乗った。

ちょっと思ってたのと違ったけど、面白くはあった。

山をひとつ越えた隣の府のターミナル駅まで行って、そのまま逆方向の電車で引き返して学校に行くことにした。 いつもの駅までの道のりは完全に夜道、少なくとも自分には朝の気配は見つけられなくて、その中を制服で歩いていくのはとても異様な感じだった。大通りは信号が消えていて、もちろん人は2人ほどしかおらず、滅亡後の様相すら呈していた。 

行きしなは真っ暗であんまり何も見えなくて、何よりテスト当日だから勉強していて景色ばかりも見ていられなかった。復路はいい塩梅。ちょうど日が昇って山の端の空にグラデーションが綺麗だった。見下ろす都会の街もやっと目覚めたように瞬いていた。

田舎の路線だし平日だったのもあって、あまり訳ありそうな人もいず、早朝出勤の男の人が多かった。皆淡々と新聞を読んだり本を読んだりゲームをしたり日中と変わらないことをしている。 自分にとってはまさに非日常の始発電車も、毎日これに乗って出勤する人にとっては日常なのだと思うと、ひとりひとりの時間軸の違いの大きさを感じて、そんな別々の時間軸を持つ人たちがこうして同じ場所に共生していることに少し感動した。

期待していた朝帰りの人たちの不思議な連帯感みたいなものは、休日にしか見れないようだとひとつ学習して、珍しく時間に急かされない清々しい気分で学校に向かった。太陽の光にこんなにほっとしたのは初めてだった。

 

話は変わって、こちら、どの曲も素敵で驚くほどの良いコンピレーション。都会がテーマだそう、だけど、喧噪の中のそれじゃなくて、少し眠りかけの都会って感じかなぁ。本当に素晴らしいので聴いてみて下さい。

 




鴨の浮寝



(でもいろいろなことを思い出して、十分じゃん十二分じゃんと言い聞かせる)

もう何も見たくない知りたくないずっと眠ってたい。音楽だけを聴きたい。

寂しさからとった行動が一層寂しさを呼んだ。

こんなにも都会で心細いと思ったことはなかった。
出入りする電車がガラス張りの窓から見える駅のベンチで、茫然としていた。ストレス食いを繰り返して習慣になったせいで太ってもう細いとはいえなくなってしまった脚を眺めた。自分で自分の大切なものを壊したんだなと思った。

大学生になったって、懐かしく語れるような高校時代の思い出ややり遂げたことがあまりないことは変わらない。ただ、今思えば悪夢でしかないような生活を、毎日ごまかし続けてどうにか終えたという記憶だけが残っている。残念でしかたなかった。しばらく泣いた。やれもしないくせに、ここから飛び込んだらどうなるかなぁと思った。
寂しい寂しい寂しい寂しい。ちゃんと、誰かにとって替えがきかないひとりになりたかったよ。高校生になれば、と信じて受験も頑張ったけど、やっぱりなれなかった。

常に誰かからの評価を求めていなくともぐらつかない強い自己がほしい。強い気持ちがほしい。
心の中でつぶやくと、ふと強い気持ち・強い愛のフレーズが思い浮かんで、カラオケに行って小沢健二を歌おう、そして前を向こうと思い立った。
心を決めて、精一杯の強がった顔をして歩き出す。でも方向音痴なため30分経っても駅から出られなかった。やっと出た頃にはもう面倒になっていた。何とも言えない。強く生きようにも、強さの根拠がないんだもの。しかたなく、グミを買って電車に乗って帰る。慣れない駅なので3度も乗り間違えた。

きっと自分の人生なんて所詮そういうものなんだろう。思い切り化粧を頑張ろうが、別に誰も見ていない。たぶん服装もどこか外れている。ソースとかすぐ服に飛ばしてしまう。帰り道、何もないところで思い切りつまずく。その他日々やらかす大小のミス。自分はいつも、ダサくて格好悪い。

他の人に頼らざるを得ないこと・助けられることが多くて、人の目を気にせず堂々とやることができなくて、いつもおどおどする。そうすることで、無意識に、何かあったら助けてもらえるような頼りないポジションを確保しようとしているのかな。

でも、とにかく、強く生きようという心がけだけでも、ね。




 

無題


きっと自分は子供を産むまいと思う。自分の遺伝子を継いでほしくないし、たぶん恩着せがましいから自分の子どもでも愛せない。でも友人に子供ができたら伝えるだろう 特別なことがないときでも何度もしっかりと抱きしめ手をつなぎ頬ずりをして、人の存在を価値の基準で考えないでいられるような人になれるように、ちゃんと自己肯定感を感じさせてあげてね と  別に自分がそうやって育てられなかったからとかそういうんじゃないんだけど本当にそう思う。
すごい寂しい 冬だし 手氷みたいに冷たい 心理的にも物理的にも完全に誰かに全部ゆだねさせてほしい、ってまたしてもらうことばっか求めてんじゃん利己的〜…。そんな風に誰かに思い切り抱きつくようなことは一番仲良い子にもまだできたことないのに無理がある。

堂々巡りはやっぱり目が回るらしい


堂々巡りという言葉は、僧侶が祈祷のために寺のまわりをぐるぐる回り歩いたことに由来するらしい。目が回ることもきっとあっただろう。

果たして自分はこの3年間を最大限に活かせたのだろうか・もっと他にできることがあったのではないだろうか、という、自分の中でもう飽きるほどに幾度となく考えてきたこと。もう結論は出ているはずなのに、轍がくっきり残った思考回路を繰り返したどるように、まさしく堂々巡りの思考が未だに止まらない。むしろ、堂々巡りというよりも迷宮入りといった方がふさわしいかもしれない。
気候が翳った心に追い打ちをかける。木枯らしと一緒に寂しさが身体の隅々にまで忍び込んでくる。氷のように冷たくなる手を持て余しては何かにつけて落ち込んでしまう。寒さがしのげる暖かい家があることや懇意にしてくれる人たちへの感謝も忘れがちになる。
家族が見ているトトロの音声が一段と神経を逆撫でする。

この前古着屋さんで買った洋服を着て外で勉強しよう。
祝日にショッピングに出かけたけど、夢の中で近所に服屋を作るほどに恋い焦がれていたファッションの世界は本当まだまだ自分には遠かった。手も足も出なくて、買いたかったアイテムも見つからず消化不良のまま、用意していた予算を残して帰った。
でも、唯一買ったこの服はとっても可愛い。見れば見るほど気に入ってくる。
Universityと書いてるので、大学で着ると考えるとちょっと笑える。
ルーズな感じが好きなので、最近はメンズにしっくりくることが多い。