KIBIHA

つづしつづらんつづらおり

尻が嫌いだ

基本的に悪口は言わないようにしているが、どうしても許せないものがある。これは言ったところでそれほど誰かを傷つけたりしないような気がするので、言わせて下さい。
尻だ。いや、尻と口に出すのさえはばかられる。尻あらため臀部だ。
何をそんなに深刻な顔をして臀部を批判するのかと自分でも不思議に思うが、このうらみ方は妄執にも近い。でも仕方がないと思う。だって実際片時もこの脂肪片は離れてくれることがなく、それとなく存在を示し続けてくるからだ。椅子に座るときやしゃがんだときなどに、仕事はちゃんとしてますよ、とビジュアル的にも実感的にも「それとなく」アピールしてくる、この妙な「それとなさ」が腹が立つ原因のひとつだ。筋肉や脳はそのようなアピールをすることなく黙って自分の任務をこなす。ときどき不調になった時だけ音を上げてしんどさを訴えてくる。なんとも健気だ。それでこそ調和を保った身体だというものだろう。
そして、形状や材質のまぬけさ、これがネックだ。ただでさえ欠陥の多い人間に、さらにウィークポイントを増やしてくるところが腹立たしい。せっかく筋肉を鍛えても、なんとなくここをつかんだときに、ああ…まだこいつがいたかと脱力してしまう。同じことは太ももにも言えるけど、太ももは普段シルエットとしてそれほど主張してこない。でも臀部は違う。ぷくっとしている。まっすぐの線をかき乱す唐突なふくらみ、これさえなければもっとフラットでぺらぺらな身体になるのに。ここには大いに自分の理想のプロポーションが影響しているけど…。
臀部についてのいちゃもんはまだまだあるけど、立場を守ったまま言えることは意外に少なかった。

ただ臀部が、機能的に不可欠だと言うことは頭ではわかっている。日々これのおかげで椅子に座っても軽くこけても、骨を折ったり体を痛めたりすることなく穏やかに過ごしていられるのだと。でも嫌なのだ。「生理的に〜」という表現は今までずっとしっくりきていなかったが、まさにそれなのかもしれない。それでいて、臀部という体の一部についてだけでこんなにも語れてしまうのだ。というより、他のパーツについても語れるような気がしてきた。「がんばり屋さんでけなげな心臓」みたいなテーマの文章、その気になれば書けたりする気もする。

はじめて始発に乗った

火曜日に、始発(の次)の電車、乗った。

ちょっと思ってたのと違ったけど、面白くはあった。

山をひとつ越えた隣の府のターミナル駅まで行って、そのまま逆方向の電車で引き返して学校に行くことにした。 いつもの駅までの道のりは完全に夜道、少なくとも自分には朝の気配は見つけられなくて、その中を制服で歩いていくのはとても異様な感じだった。大通りは信号が消えていて、もちろん人は2人ほどしかおらず、滅亡後の様相すら呈していた。 

行きしなは真っ暗であんまり何も見えなくて、何よりテスト当日だから勉強していて景色ばかりも見ていられなかった。復路はいい塩梅。ちょうど日が昇って山の端の空にグラデーションが綺麗だった。見下ろす都会の街もやっと目覚めたように瞬いていた。

田舎の路線だし平日だったのもあって、あまり訳ありそうな人もいず、早朝出勤の男の人が多かった。皆淡々と新聞を読んだり本を読んだりゲームをしたり日中と変わらないことをしている。 自分にとってはまさに非日常の始発電車も、毎日これに乗って出勤する人にとっては日常なのだと思うと、ひとりひとりの時間軸の違いの大きさを感じて、そんな別々の時間軸を持つ人たちがこうして同じ場所に共生していることに少し感動した。

期待していた朝帰りの人たちの不思議な連帯感みたいなものは、休日にしか見れないようだとひとつ学習して、珍しく時間に急かされない清々しい気分で学校に向かった。太陽の光にこんなにほっとしたのは初めてだった。

 

話は変わって、こちら、どの曲も素敵で驚くほどの良いコンピレーション。都会がテーマだそう、だけど、喧噪の中のそれじゃなくて、少し眠りかけの都会って感じかなぁ。本当に素晴らしいので聴いてみて下さい。

 




本気になりました




祖母宅で無礼な(だと自分は感じた)父のことを母に電話で話していると、怒りか悲しみかわけもわからず泣けてきてしまった。でもなんか心の奥にある温かい部分が溶け出したような涙だった。いつからか自分はすごく涙もろい。

あとやっと本気の本気で勉強すると決意し実行しはじめたところ。天秤が勉強の方に完全に傾いた。きっとやり遂げたい。



シリアスに割く


ひょんなきっかけから、動物を殺して食べているということについて考えることになった日だった。昔に森達也さんの「いのちの食べ方」という本を読んで以来、ずっと心のどこかには引っかかっているものの、忙しさや刹那的な楽しみにかまけて、久しく見て見ぬふりをしてきた。でもやっぱり、時間ができれば、もう一度考え直して、また知識を入れる必要があると改めて確認した。
ただ、肉や魚に関わらず、外食でも家でもどこでも、何でも残さず美味しく食べるというポリシーだけは貫いて生きてこれているのはまぁとりあえず宜しいと思う。何なら他人の残した分まで食べる。そうやって太っていくのだろうけど。
ひとりで暮らすようになっても、ちゃんといただきますと言って食べよう。自然に自炊では肉は控えるようになりそうな気もするし。



カティサークという言葉は妙に記憶に残っている


村上春樹のエッセイに出てきたお酒の名前。
どんなシーンだったかは全然思い出せないけれど、安西水丸さんのイラストの色合いとその単語だけが、ぽっかりと宙に浮かんだように。




念願の!スリッポンみたいなぺたんこのスニーカー、手に入れた。足が大きいので、カラーバリエーション豊富な店にサイズがなくてがっかりしていたら、近所の靴屋さんにあった。しかもアウトレットでとても安かった。今までぱっとしない靴しか置いていない店だと侮っていたことを詫びたくなる。買ってから気づいたけどこれもメンズものらしい。どこへ向かっているんだろう??まぁそれも一興。



無題


きっと自分は子供を産むまいと思う。自分の遺伝子を継いでほしくないし、たぶん恩着せがましいから自分の子どもでも愛せない。でも友人に子供ができたら伝えるだろう 特別なことがないときでも何度もしっかりと抱きしめ手をつなぎ頬ずりをして、人の存在を価値の基準で考えないでいられるような人になれるように、ちゃんと自己肯定感を感じさせてあげてね と  別に自分がそうやって育てられなかったからとかそういうんじゃないんだけど本当にそう思う。
すごい寂しい 冬だし 手氷みたいに冷たい 心理的にも物理的にも完全に誰かに全部ゆだねさせてほしい、ってまたしてもらうことばっか求めてんじゃん利己的〜…。そんな風に誰かに思い切り抱きつくようなことは一番仲良い子にもまだできたことないのに無理がある。